クーベルタンがオリンピックは参加することに意義があると言っても、上位3人にメダルを授与する儀式をやめない限り、メダル争いやドーピングは永遠に続くでしょう。また、IOCの金満体制やオリンピック誘致に関して裏で金銭の授受する行為も未来永劫続くでしょう。
かといってメダルなしじゃあ誰もスポーツで上を狙おうとしません。ヴィネだってスパルタスロンで上位3位に授与される「あの盾が欲しい」と思ったからこそ、練習に励みそこそこのレースができる様になったわけです。まあ、盾を手にして「なんだこんな物か」とちょっとがっくりしましたが・・・・。
リオでメダル獲得した時の日本人選手の反応にとても興味が湧きました。普通は喜ぶはずのメダリストですが、柔道では銅や銀を取った選手はみんなむっつりしてにこりともしません。本人的には「常に上を目指して努力したし、目標はあくまで金なんだ。アスリートとして1番以外はみな同じだ」とでも言いたいのでしょう。まあ、我々直接の当事者じゃなければそんなことはどうでもよくて、「いいじゃん、金でも銅でも重さは同じだよ。金メダルと言っても99%銀メダルで、その上にメッキしているだけだから、後で自分で金メッキすりゃいいじゃん」なんて思う人もいるかもしれません。
テレビでむすっとしたメダリスト見ていてもあまりいい感じがしませんでした。
リオの最終聖火ランナーが、アテネオリンピックの時のマラソン3位のバンデルレイ・デリマになった意義が、ヴィネにはよく分かります。彼がトップで走っているときに、沿道の観客がコースに入り込んで、デリマを押しのけたのです。それでもデリマは喜びを全身に表現してゴールしたのです。心のどこかには「あの一件がなければ・・・」と言う恨み節もあったかもしれないのにね。
ヴィネが最も印象に残った日本のメダリストは、カヌーで日本に初めてメダルをもたらした羽根田卓也選手でした。3位が決定すると感極まって顔を手で覆い、男泣きする姿は思わずもらい泣きしちゃいそう。周りの選手も肩をたたいて祝福する姿はとても見ていて気持ちがいい物でした。
高卒後単身スロバキアに渡り、言葉の壁を乗り越えて努力したとのことですから、日本にいて競技する選手に比べてその精神的な強さも評価されるべきではないでしょうか?
posted by ヴィネガー at 12:43|
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